キングダムでは趙高は秦国太后に仕える優秀な家臣として嫪毐の乱で活躍しています。
ただ史実では登場の仕方がかなり異なっています。

趙高の名が出てくるのは中華統一後。
始皇帝(政)には文官としての能力を買われ、かなり重用されていたようです。

その始皇帝が亡くなった後に暗躍し始め、秦国が滅亡する原因となってしまうほどの大罪を犯します。

今回はその趙高の史実やキングダムでの活躍をみていきましょう!

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趙高の史実

趙高が宦官となった原因は?

趙高はその名の通り、生まれは趙国。
趙の王族の一族の遠縁にあたる。

その趙高が宦官となった理由は母親が原因。
母親が大罪を犯したため、その罪は趙高にまで及び去勢され、宦官となりました。

ただこのあたりには諸説あるようですね。

秦に仕える前に罪を犯したため
女婿闇楽の罪による連座のため
兄を養うために自ら進んで

といった感じでいくつかの説があります。

始皇帝の末子・胡亥の教育係となる

趙高は文官としての能力の高さ・法律に詳しいことなど、その才能を始皇帝に見いだされ、過去に罪を犯し、宦官となったにもかかわらず重用されていきます。
そして法律に詳しかったことから始皇帝の末子・胡亥の教育係になります。

胡亥の教育係を担当することからも趙高がよほど始皇帝から信頼が厚かったことがわかります。

始皇帝の死亡で趙高が暗躍

紀元前210年始皇帝の五度目の巡幸。
この巡幸に参加していた趙高。

以前から始皇帝は体の容態が悪く、巡幸中に遺書を記していた。

遺書には始皇帝の長男である扶蘇が喪主として葬儀を執り行うことが記載されてあった。
喪主= 始皇帝の正式な後継者


そしてその五度目の巡幸中に始皇帝は死亡する。

始皇帝の遺書の内容を知った趙高は胡亥を皇帝にしようと画策。
李斯に扶蘇が皇帝になると蒙家が重用され、一族が危険にさらされると強引に説き伏せられた李斯は趙高の計画に協力することとなった。

扶蘇と蒙恬を粛正

胡亥を皇帝に即位させる上で、邪魔な人物が二人いた。
その二人の人物とは・・・

扶蘇と蒙恬


趙高らは始皇帝の詔書を偽造。

その内容は

扶蘇の自決
蒙恬の将軍職の剥奪

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が記されていた。


蒙恬は詔書の内容を怪しむが、扶蘇は詔書に記載されていた通り、自決した。
そしてその後蒙恬も毒を自ら飲んで自害した。

胡亥が皇帝に即位

扶蘇が自決し、胡亥は皇帝に即位。
趙高は郎中令となる。

そして趙高は胡亥には宮殿内に留まらせ、実権を握っていった。
丞相の李斯でさえ、趙高を通さなければ、上奏できなかった。



趙高は大規模な粛正に取り掛かる。
そして恐怖政治を敷いていく。


しかし恐怖政治は民衆の怒りを買い、また国の有能な人材を粛正したことにより、政治不信が増大。
滅亡に近づいていっていた。

陳勝・呉広の乱

この恐怖政治についに反乱を起こす人物が現われる。
その人物が陳勝・呉広。

民衆の怒りが頂点に達していたのもあり、この反乱は広がっていきます。


函谷関を通り過ぎ、咸陽に迫る反乱軍。
将軍の章邯が囚人20万人を連れて、鎮圧に向かった。

李斯が処刑される

次々に起こる反乱。
しかし胡亥はこの国の外のことをあまり知らなかった。

そんな胡亥に李斯は繰り返し、諫言するが、聞き入れられることはなかった。


そんな李斯を排除しようとした趙高。
趙高が逆に李斯のことを胡亥に諫言し、李斯は処刑された。

そして趙高は李斯の後釜として胡亥から丞相に任命された。

胡亥を殺害

趙高が李斯を排除する間にも反乱は続き、ついに章邯軍は項羽軍に敗北。
章邯は増援を送るどころか敗戦の罪を押し付ける趙高を見て、項羽軍にに降伏した。

そして咸陽にも劉邦率いる軍が迫る。


趙高は現在の状況を知った胡亥に処刑されることを恐れ、胡亥を殺害。

胡亥の後には子嬰が即位。

趙高の最期

趙高に擁立させられた子嬰。
しかし子嬰自身も命の危険を感じ、逆に趙高を殺害する計画を立てます。

子嬰は病に伏していると政務を行わなかった。
そして見舞いに来た趙高を子嬰の命を受けた韓談が殺害。

趙高は最期を迎えた。

さいごに

趙高はキングダムでの登場とかなり相違がありますね。
嫪毐の乱で活躍した趙高は罪で蜀へと流されています。

もしかしたら再び登場することがあるのかもしれませんね。


史実での趙高はすさまじい暗躍の限りを尽くしていますね・・・。
次期皇帝の扶蘇・皇帝胡亥・丞相李斯・蒙恬将軍と他にも有能な人物を次々と始末した趙高は国を滅ぼした元凶と言えるでしょう。

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