キングダムで楚軍第一軍臨武君を討った騰軍が次に戦った相手は楚軍第二軍媧燐!
媧燐の次々と打ち出してくる奇策は見事でしたね。

また騰も王賁・蒙恬に左翼・右翼の指揮権を委ねたりと武力だけではなく、戦術の戦いにもなりました。

今回は騰軍と楚軍第二軍媧燐との函谷関の戦いにスポットを当てていきたいと思います。

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騰軍と楚軍第二軍媧燐の函谷関の戦い

合従軍と秦軍で最大規模となる蒙武・騰連合軍九万と楚軍十五万の戦いが始まる。

楚軍は三軍からなり

第一軍臨武君
第二軍媧燐
第三軍汗明

を蒙武・騰連合軍にぶつける。

騰が臨武君を討ち取り、騰軍は第一軍に勝利。

函谷関の二日目から騰軍は第二軍媧燐と激突する!

媧燐が本陣に進言

二日目の序盤、媧燐は第二軍を出さずに前日に敗北した将を置かずに第一軍だけで出陣させる。
騰を討ち取れなかったら斬首という条件を突き付けられる。

しかしそんな中、媧燐から進言が本陣にいる李牧と春申君に届く。


その進言とは・・・

全軍大いなる凡戦を連ねて十日後に函谷関を落とすべし

これを聞いた李牧は媧燐を本物と評価する。
本陣からの使者により、合従軍全軍にこの進言は伝えられた。

第一軍は斬首は免れたものの、二日目からも出陣させられた。

戦象による攻撃

函谷関の戦い十五日目。
媧燐率いる第二軍がついに動き出す。

大量の砂煙を巻き上げながら前進してきたのは戦象!!
刀・槍など通らず、凄まじいパワーで攻撃する戦象を前に苦戦を強いられる録嗚未軍と干央軍。


しかし戦象に指揮系統があることを見抜いた録嗚未は戦象を束ねる将を見つけ出した。
戦象の攻撃をかいくぐり録嗚未は将を討ち取った。

そして戦象には目もくれずに戦象に乗る敵兵に弓で攻撃する。

録嗚未軍と干央軍の攻撃を受けた楚軍の戦象は退却した。

しかし第二軍の攻撃が軽いことに騰は違和感を感じていた。

騰軍が第二軍媧燐に包囲される

第二軍が率いた戦象は退却。
砂煙を上げながら退却するが、その砂煙が止んだとき

騰軍は第二軍媧燐に包囲されていた!

戦象はこの布陣を作り上げるための、ただの目くらましだった。

これにはいつもポーカーフェイスの騰も汗をかく。


媧燐軍から四方八方の絶え間ない攻撃が始まらろうとしている中、騰が考えた策は・・・

録嗚未軍と干央軍に援軍は送らない
左翼を王賁・右翼を蒙恬に指揮権を委ねる

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というもの。


本陣の外に出れば、媧燐軍からの激しい攻撃に合う。
そのため王賁と蒙恬の騎馬隊で敵の背後を攻撃。
そしてすぐに離脱するというもの。

味方が劣勢の場所を騎馬が背後に回り込み、敵の背を打ち続けるという策は王賁と蒙恬も考えていたものだった。

媧燐が出陣

騰軍の生命線は王賁と蒙恬の騎馬隊。
媧燐は千人将の項翼に五千人の兵を与えられ、騰を討つように命じられる。

そしてついに媧燐自身も動き出そうとしていた。

五千人将となった項翼は騰を狙い、一直線に駆け出していく。
騰も五千人将の首を取るために応戦。

騰と項翼の戦いが始まった。


媧燐がついに騰軍本陣目指す!

騰は一度本陣に戻ろうとするが、騰隊を包囲し、本陣に戻らせない項翼。

媧燐は項翼で騰を釣って、その間に本陣を落とす策を立てていた。


媧燐は本陣の中央の隆国軍に突撃。
隆国軍は迎え撃つも媧燐軍の精鋭部隊の強さは圧倒的!!

中央の隆国軍が突破される危機に陥る。

そんなとき媧燐の背後から敵の姿が。
騰に見捨てられたと思われた録嗚未と干央が媧燐めがけて突撃!
そして王賁と蒙恬も媧燐を強襲する。

媧燐は秦軍の目が自分に集中したことを確認し、その場から離脱する。

蒙武を狙う媧燐

騰軍と戦っていた媧燐だが、一旦離脱。
蒙武を狙うために蒙武軍と汗明軍の戦い場に訪れていた。

蒙恬と王賁は媧燐の動きに違和感を感じ、その場の指揮を他の者に委ね、媧燐を追う。


蒙武と汗明の一騎打ちは佳境を迎えようとした。
すでにお互いボロボロの状態。

その二人の戦いの最中に

媧燐は弟の媧偃に蒙武の心臓を貫いてくるように命じる!


そして蒙武と汗明の決着が付こうとしている中、媧偃は蒙武に突撃!
しかしこれは媧燐を追っていた蒙恬に妨害されて、失敗に終わった。

その後蒙武が汗明を討ち取り、蒙武軍と汗明軍の戦いは蒙武軍の勝利となった。


媧燐は蒙武軍からの攻撃に備えて、いち早くその場を退避していた。
騰と一騎打ちとなっていた項翼も退避。

その後媧燐は函谷関の裏手に兵を回すなど秦軍を追い詰めるも王翦に防がれた。

さいごに

キングダムで騰軍と楚軍第二軍媧燐の戦いは見ごたえがありましたね。
あの騰を後手後手に回す媧燐の策の数々は見事でした。
その策を防ぎ切った騰もすごかったですが。


媧燐はこの合従軍の戦いで中華全土に傑物として名を残ることになりました。

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