【キングダム】王翦(おうせん)の史実での活躍と最後を紹介

キングダムの鄴攻めで現在秦軍の総大将をつとめ、李牧と知略による対決をしている王翦(おうせん)!
その王翦(おうせん)は当然史実にも登場しています。
史実では天下統一に最も貢献した武将と言えるでしょう!

その王翦(おうせん)の史実での活躍をみていきましょう!

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キングダムでの王翦(おうせん)とは?

常に仮面を付けたミステリアスな人物。

絶対に勝つ戦しか興味はない

という考えの元
策を幾重にも張り巡らせて、戦う知略型の武将。


武将としての実力は

元六大将軍胡傷 軍略の才だけで六大将軍に入れる
元三大天廉頗 軍略の深さ・特異さは白起と同等
など

と現秦国の中でも屈指の将軍であることがわかります。
ただ自身が王となる危険な思想を持ち主のため昭王からは光を当てられなかったという過去を持ちます。


王翦のキングダムでの活躍で大きいのは、以下の二つでしょうね。

合従軍の戦い
鄴攻め



合従軍との戦いでは燕の大将軍オルドを手玉に取る。
そして楚の媧燐(かりん)の策で、函谷関(かんこくかん)の裏を取られ、函谷関が陥落すると思われたまさにその・・・突如姿を現して、秦国を救いました。


鄴攻めでは列尾を落城させた直後、昌平君の策を捨てて、実際に趙国の第二都市鄴を見にいって新たな策を練り上げた。

これまでに

九つの城を落城
民衆を鄴へ追いやり、兵糧合戦に持ち込む
鄴へ自らの配下を忍び込ませて、鄴の兵糧を燃やし尽くす
など

の策を見せています。


また戦場でも随所に李牧を上回る?ほどの知略をみせています。
現在鄴攻めは佳境に入っています。

王翦が鄴をどういう策で陥落させるのか楽しみですね。

⇒王翦の鄴攻めの策まとめ


鄴攻め

王翦が史実に登場するのは紀元前236年。
秦国からの名を受けて、王翦・桓齮・楊端和が趙の鄴へ侵攻。

まずは王翦は桓騎・楊端和と共に趙の九つの城を陥落させる。
その後王翦は一人で閼与を落とす。


そして王翦は軍を戦いの最中、部隊を再編制。
軍を1/5の精鋭部隊だけ残して、後の者たちを秦に帰らせた。

難攻不落の鄴を陥落させた。

⇒鄴攻めの史実は?鄴城は陥落するのか結末を紹介


王翦の郭開買収により、李牧と司馬尚が更迭

紀元前229年王翦は楊端和と羌瘣と共に趙に攻め込む。
相手は李牧と司馬尚。

王翦は上郡方面の将として井陘(せいけい)を落とすが、戦いは膠着。


そこで王翦は趙の郭開(かくかい)を買収。
李牧と司馬尚が謀反を企んでいると郭開は幽繆王に進言し、李牧と司馬尚は趙の防衛から取り除かれた。

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⇒郭開は趙を滅亡させた原因を作った人物?史実での最期とは?


趙の滅亡

趙の将の任を更迭された李牧と司馬尚は
その後

李牧は殺害
司馬尚は逃亡


李牧亡き後、趙軍を率いたのは趙葱と斉将顔聚。
王翦は趙葱と斉将顔聚を討ち取り、邯鄲を攻め落とした。


その後逃亡した幽繆王は平陽で捕えられ、趙は紀元前228年趙は滅亡した。

⇒李牧の史実での最後は?信との戦いの結末も紹介

⇒司馬尚の史実での活躍と最後を紹介


趙の滅亡

王の血脈である公子嘉は趙から逃れて、代という国を建国。
同盟を結んだ燕と代の連合軍は秦軍に抵抗をみせる。

王翦は趙を滅亡させた後、軍を北上させた。
そして紀元前227年秦軍は王翦と辛勝が攻め込み、易水で秦軍に燕と代の連合軍に勝利した。

⇒太子嘉は代王嘉に!弟の公子遷が趙国の王になる?


燕の王都薊城落城

紀元前227年燕は政の暗殺を計画。
未遂に終わったが、これに激怒した政は王翦に命じて、燕に攻め込ませた。
そして王翦は燕の王都薊城を落とした。


楚へ侵攻

紀元前225年政はいよいよ大国楚の滅亡に乗り出す。
政は楚を落とすための兵の数を王翦と李信に質問した。

王翦は60万
李信は20万


政は李信の案を採用。
楚に侵攻するも楚の項燕の前に敗北を喫する。


政は王翦に楚の侵攻を要請。
60万の軍を王翦に与えて、楚を攻めた。

対する楚も総大将は項燕に全軍を上げて迎え撃った。


王翦は項燕に対して、強固な陣を築いた。
そして兵には休息と食糧を与え、楚の仕掛けや挑発に決して乗らなかった。

ただのにらみ合いの状態となり、楚は軍を引き揚げようとしていた。


その時王翦は楚を背後から奇襲!
楚は総崩れとなり、秦が勝利した。

そして楚王負芻(ふすう)を捕虜とした。

⇒楚の大将軍と武将一覧!項燕や媧燐を紹介


楚の滅亡

紀元前223年大将王翦・副将蒙武で楚に侵攻。

前年楚王負芻を失った楚は項燕が秦の昌平君を楚王として擁立。
江南の地から秦へ対抗します。

しかし昌平君は討たれて、項燕は自害した。

紀元前222年江南も王翦と蒙武により、平定した。

⇒昌平君は史実と最後の裏切りを紹介


王翦の最後は?

王翦の最後の記録が残っているのが紀元前222年まで。
その後は王翦がどうなったのか?
それは定かではありません。


王翦は秦の歴代将軍の中で最も天下統一に貢献した武将の一人!
そのため政による信頼も厚かったと思うため、悲劇の死のようなことになった可能性は低いでしょう。

天寿を全うした可能性が高いですね。


さいごに

王翦は史実でも天下統一に最も貢献した秦の武将の一人といえると思います。
王翦の功績としてはやはり楚を滅亡させたことが大きいですね。


楚との戦いは

李信と蒙恬が楚に敗北
昌平君が秦を裏切る
など

史実上でもいろいろとあるため、かなりおもしろい展開になりそうです。

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