【キングダム】韓非子(かんびし)の史実と最後を紹介

キングダムでは李斯(りし)から明かされた韓非子(かんびし)の名前!
おそらく韓へ侵攻する際に間違いなく、登場することが予想されます。

その韓非子(かんびし)は史実どういった人物なのでしょうか?
また最後はどのようになったのでしょうか?
今回は韓非子(かんびし)についてまとめてみました。

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韓非子とは?

韓国の子で思想家。
過去には李斯と共に荀子の元で学問を学んでいた。
その才は李斯以上とも言われている。


韓非子の名は韓非(子)。
キングダムでは李斯に韓非子と呼ばれていましたよね。

その韓非には著書である『韓非子』がある。
この『韓非子』は現在にも影響を与える優れた書物として残っている。


ちなみに韓非子は吃音で王族に見下されていたようです。
ただ文才には優れており、自身の吃音を補うために文章をしたためたため『韓非子』が生まれるきっかけになと思われます。


韓非子は韓王に意見書を提出

韓の状況はというと秦に侵攻を受け、領土を取られ続けている状態。
その状況に韓非子は韓王にたびたび意見書を提出。

しかし側室の子であった韓非子を韓王はよく思っていないのもあって、受け入れることはなかった。


秦国の灌漑事業を韓王に進言

秦国の目を韓にでははなく、他に向けさせるために秦国の食糧問題に目を付けた韓非子。
工事を長期化させて、秦の国力を削ぐことを韓王に進言。

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技術者の鄭国(ていこく)を秦に派遣した。
秦王には食料のことを考えた灌漑事業の利を提案。
これを受け入れた工事が始まった。


秦が韓非の韓非子に感銘を受ける

ある日韓非の著書である『孤憤』『五蠹』を目にした秦王は感銘を受ける。
自分の元へ置きたいとかつて同門であった李斯に要請。

秦が軍を動かしたため、韓は韓非子を和平のために秦に使者として送った。


韓非子が投獄

李斯は秦王が韓非子を重用することを恐れていた。

韓の王族で韓のために動いている
秦の内情を知ってしまっている

秦王に讒言。


これにより韓非子は投獄されてしまいます。

また当時の秦には他国からの間者が多く紛れ込んでおり、他国人追放令も発動されており、李斯はこの背景も利用して、韓非子を排除したと思われます。


韓非子の最後

他国人追放令もあって、韓非子にも命の危機が迫ります。
そんな時に李斯が毒薬を届けて、韓非子に自害を促します。

韓非子は毒薬をあおって、最後を迎えました。


さいごに

今後キングダムで登場すると思われる韓の韓非子。
史実では韓非子は秦王政の中華統一後の考えに影響をもたらした人物の一人と言えそうです。

皮肉にも韓非子の思想は韓では受け入れられず、秦国の国力を削ぐ目的の灌漑工事も秦国が豊かになるきっかけとなってしまいました。

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