王齕(おうこつ)は史実ではいろいろな武功を上げた武将!
その王齕(おうこつ)はキングダムでも六大将軍の一人に数えられている伝説の武将として語り継がれています。
キングダムの漫画の世界でも史実でも活躍した王齕(おうこつ)ですが、史実ではどのような武功を上げてきたのでしょうか?
今回は王齕(おうこつ)にスポットをあててみたいと思います。
目次
キングダムでの王齕は?
王齕(おうこつ)は、『史記』のほうでは控えめに描かれています
キングダムの王齕はかなり怖い
(『キングダム』(29)より) pic.twitter.com/cQyrDHrj4T
— こよみゆうか (@koyomi_yuuka) 2020年4月12日
キングダムで王齕は六大将軍の一人。
口と顎の長髭が特徴の人物。
六大将軍一の怪力で武器は大斧。
キングダム内で王齕の登場シーンはこれまでにほとんどありません。
ただ一度合従軍との戦いで楚の汗明から王齕のことが語られました。
その王齕のエピソードとは・・・
楚の汗明に王齕が敗北したこと
秦と楚はここ20~30年直接的に戦場で争うことはほとんどありませんでした。
そんな中でも王齕が唯一楚に侵攻した時に迎え撃ったのが
総大将 項燕(こうえん)
副将 汗明
⇒項燕の史実での活躍!登場はいつ?
そして第一陣で出陣した汗明にあっさりと王齕が討たれたとか・・・。
汗明さんが豪語してらっしゃるので、合従戦のメインアタッカーは当然汗明さんに決まっています。情けなく逃げ去る王齕はメンバーにも入りませんよ、皆さん!#騙されないで pic.twitter.com/ycxPlk0By7
— イセリア ・クイーン(ナナフラ) (@ethereal_kanki) May 21, 2020
王齕はそのまま退却しています。
これは事実なのでしょうか?
六大将軍王齕がそんなにあっさり敗北するのか?
汗明の強いことはわかりますが、その汗明も蒙武に敗れています。
あくまで汗明側からだけの発言なので、何か理由があったようにも思えますね。
王齕の史実での活躍は?
韓に侵攻、その後長平の戦いに発展
紀元前260年王齕を総大将に韓へ侵攻。
韓は紀元前265年に韓の野王を白起に陥落させられ、韓の国土の上部半分の上党郡を秦に割譲し、和睦にもっていこうとする。
秦の侵攻に対して、対抗することが韓にはできませんでした。
しかし韓は上党郡を趙の孝成王に割譲。
秦はこれによって、狙いを韓から趙に変更し、進軍します。
この時に大将をつとめたのが王齕です。
韓にとっては狙い通りだったんですかね。
この戦いが長平の戦いに発展します。
長平の戦い
長平の戦いが始まりますが、趙軍の総大将は廉頗。
廉頗は上党郡の手前にある長平城で守りを固めて、籠城戦に持ち込みます。
この籠城には秦軍を疲弊させる狙いがあったと言われています。
二年ほど経過し、秦の昭襄王や范雎は策を講じて、廉頗を更迭させようとします。
間者に秦が怖れているのは趙括という情報を趙に流します
孝成王は廉頗を更迭。
趙括を総大将に任命します。
秦の方も総大将白起・副将王齕と変更。
しかし趙括は白起の前になすすべなく敗北。
趙括は戦死、趙兵は全軍降伏した。
その後白起は趙兵40万を生き埋めにした。
王齕は副将にこそなりましたが、そのまま秦に帰らずにとどまっていました。
そう考えると王齕自身もかなり有用な武将であったことがわかりますね。
キングダムでは白起と王齕は横並びになっていますけどね。
王齕が武安君を討ち取る
紀元前259年王齕が趙へ侵攻。
趙の武安君を討ち取って、皮牢を奪います。
ただこの武安君とは趙の武将のいったい誰なのか?
それはわかっていません。
王齕が将として邯鄲に派遣される
紀元前258年秦は邯鄲を包囲。
王陵が総大将として出陣します。
しかし邯鄲を落とすことが一向にできず、総大将に王齕が任命されます。
総大将を王齕に変えても戦況が思わしくならない秦は白起を総大将にしようとしますが、白起はこれを拒否し、自害させられてしまいます。
楚と魏の援軍により、王齕が趙から退却
秦はなかなか邯鄲を陥落させることはできませんでしたが、趙の劣勢は続きます。
これに対して、趙は楚と魏に援軍を求める。
そして楚と魏の援軍によって、戦況は苦しくなり、ついにては王齕は軍を撤退させました。
魏軍に大勝
王齕は邯鄲を落とせずに退却しますが、その後汾城郊外にいる秦軍と合流。
魏に攻め込みます。
王齕は大勝!!
六千人斬首
二万人を黄河に沈める
という活躍をみせました。
王齕と張唐が寧新中を攻め落とす
魏軍に大勝した王齕はその後張唐と合流。
寧新中を攻め落とした。
邯鄲を陥落させることはできませんでしたが、その後の王齕の進撃ぶりが凄まじいですね。
韓の上党郡に攻め込む
紀元前260年に韓から趙に割譲した上党郡に秦は攻め込みます。
ただ上党郡はその後どうなったのかはわかりません。
韓に攻め込むと記録にあるので、韓の領土と思われますが。
秦はその上党郡に太平郡を置いた。
信陵君の合従軍の前に敗れる
信陵君は魏・趙・韓・燕・楚の五か国で合従軍を結成します。
秦で応戦したのが蒙驁と王齕!
しかし秦軍は合従軍に敗れ、函谷関まで退却しました。
王齕の史実での最後は?
王齕の史実での最後は紀元前247年で途切れています。
この後はどうなったのか?
ただ王齕は王騎と同一人物だという説あります。
王騎がこの世を去ったのは紀元前244年。
同一人物説をとるのであれば、この年に王齕も亡くなったということになります。
さいごに
王齕は史実ではめざましい武功を上げていますよね。
韓への侵攻
長平の戦い
趙の武安君を討ち取る
総大将として邯鄲を包囲
など
ただキングダムでは楚の汗明にあっさりと敗北したということになっています。
すでに汗明も蒙武に討たれてしまっていますので、王齕のことがクローズアップされる可能性も少ないと思いますが。
汗明に討たれたのも何か理由がありそうな気がするので、また回想でもやってほしいですね。