キングダムで六大将軍の一人に数えられる胡傷(こしょう)。
ただ胡傷(こしょう)は王騎などのように武将タイプではなく、軍師。
軍略の才だけで六大将軍に上り詰めた唯一の人物です。

では胡傷(こしょう)は史実ではどのような活躍を見せていたのでしょうか?
今回は胡傷(こしょう)の史実を紹介します。

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キングダムでの胡傷は?

胡傷は六大将軍の一人で昌平君の師。
六大将軍の中で唯一軍師出身。

かつて伝説を残した秦の六大将軍たちも大枠は胡傷が作っていた策で動いていたと言われています。


秦軍は現在趙に対して、鄴攻めを行っています。
邯鄲の喉元である鄴に侵攻する戦いの総大将に任命された王翦。

胡傷は王翦のことを軍略の才だけで六大将軍になれる逸材と認めていました。
昌平君が王翦を総大将にすることを決めたのは胡傷のこの一言があったからと見ていいでしょうね。

⇒王翦の鄴攻めの策まとめ


その胡傷はキングダムだけではなく


史実にも実在している人物です!


次からは胡傷の史実での活躍をみていきましょう。


胡傷の史実での活躍

華陽の戦い

紀元前273年趙と魏が韓の華陽に攻め込む。
韓は秦に援軍を要請。

秦は韓の要請に対して、昭襄王と魏冄は

白起
胡傷

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を援軍として向かわせる。


秦軍は8日で華陽に到着。
韓の華陽までの道のりを休みなく、移動し続け、突如現れた秦に完全に不意をつかれた趙と魏。
趙と魏は秦軍になすすべなく敗北。


魏軍の兵13万を斬首
3人の将軍を捕虜
魏の総大将芒卯(ぼうう)は敗走
趙の総大将賈偃(かえん)は討ち取られる
趙軍兵2万が黄河に溺死させられる



と秦軍は圧倒的な勝利を収めた。

⇒白起将軍の史実と最後を紹介

魏に攻め込む

華陽で圧倒的勝利を収めた秦は胡傷が魏を攻める。
胡傷は勢いそのままに


蔡陽
長社

を陥落させる。

魏は秦軍の勢いを止められず、最終的には南陽と引き換えに秦と和睦を結んだ。


閼与の戦い

紀元前269年秦軍は閼与(あつよ)に出陣。

秦軍総大将は胡傷
趙軍総大将は趙奢

趙奢はまずは三十里の土塁で拠点を作り、進言を停止。
閼与から援軍を求める声にも応じず、逆に趙に入り込んだ間者をもてなして、秦軍に返します。

趙奢は満を持して、閼与への援軍に動き、今度は五十里離れた場所に陣を敷きます。
そして北の山には一万の兵を置いた。

ついに全軍で攻めて来た秦軍は山を奪取しようとしたが、登ることができず。
趙奢はそのタイミングで秦軍に一気に攻め、胡傷率いる秦軍は大敗した。

⇒趙奢の史実で活躍と趙括との関係も紹介


さいごに

史実で胡傷が登場したのは

華陽の戦い
閼与の戦い

の二回。


キングダムでは軍略の才で六大将軍に上り詰めた!
とありますが・・・結構オリジナルが混じってそうですね。

⇒秦の旧六大将軍一覧!

華陽では指揮を執ったのは白起だと思いますし、閼与の戦いでは趙奢に策の前に大敗しています。
趙奢とは知略と知略の戦いのような感じがあまりしませんよね。


胡傷は史実で大敗を喫した閼与の戦い後、歴史から名が消えています。
そのため春秋戦国時代に大活躍した!
とは言えなさそうですね。

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