【キングダム】桓騎(かんき)の史実を紹介!最後は李牧に討たれる?

キングダムで山陽の戦いから登場して、圧倒的な強さとカリスマ性をみせる桓騎(かんき)!
その桓騎(かんき)は史実ではどのような活躍をみせたのでしょうか?

桓騎(かんき)の史実を追ってみました。

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桓騎(かんき)は史実では実在する将軍?

キングダムでは元野党で首切り桓騎という異名どおりに残虐でトリッキーな戦いが目立つ人物。

その実力は生まれが一世代早ければ、六大将軍入りしていたといわれるほど。


その桓騎は史実にも実在します!


ただキングダムのように元野党であるという記録はなく、武将の可能性が高いと思われます。
当然あのトリッキーな戦い方をするかどうかも不明のため、キングダムではオリジナル要素の強いキャラクターにはなっていますね。

桓騎の史実での初登場するのは将軍となる紀元前237年。
そのためこれより前の戦いにも名を連ねていたと思われますが、史実に記録はありません。


キングダムでの桓騎は魏との山陽の戦いで、すでに登場しています。
この時は総大将蒙驁(もうごう)の副将として

廉頗四天王 玄峰(げんぽう)
大将軍 白亀西(はくきさい)

を討ち取っています。

⇒六大将軍が復活!?候補の武将を予想


鄴攻めで活躍

桓騎は紀元前236年に鄴攻めに王翦(おうせん)・楊端和(ようたんわ)と共に出陣。

キングダムでは三軍の一角の大将として出陣していますが、史実では王翦の副将だったようですね。


秦軍はまずは鄴周辺の城を落として回ります。
桓騎は王翦・楊端和と共には九つの城を落城させて、桓騎はの九つの城にとどまります。


その間に王翦が別働隊を率いて閼与(あつよ)を陥落。
その後王翦は軍を少数精鋭五分の一にして、鄴を落城させた。

⇒鄴攻めの史実は?鄴城は陥落するのか結末を紹介


趙の将である扈輒(こちょう)を討つ

鄴攻めで功績を上げた桓騎は今度は大将として、紀元前234年に趙の平陽に侵攻する。

平陽で桓騎は趙の将である扈輒(こちょう)を討ち取ります。

そして趙の兵士の首を10万に斬ったといいます。

桓騎らしいといえば桓騎らしい・・・。

ちなみに扈輒はキングダムで鄴攻めの際に王都の守護神として名前だけ出てきましたね。


翌年の紀元前233年に再度平陽に侵軍。
平陽とさらに武城を落城させた。


宜安で李牧に敗北

平陽を平定した桓騎は軍を北上して、今度は宜安を狙います。
ここで待ち受けてたのは李牧。

桓騎は軍を二軍に分けて、宜安を攻める!

しかし李牧に手薄になった本陣を狙われて、敗北。

⇒李牧の史実での最後は?信との戦いの結末も紹介


桓騎の最後はというと・・・

戦国策では李牧に討たれた
史記では敗走

と記録が分かれているようですね。
ただ近年では敗走というのが有力になってきているようです。


キングダムでは李牧に討たれそうですね。
黒羊での戦い後に李牧が言っていた桓騎の弱点!

この宜安での戦いで出てきそうです。

⇒桓騎の弱点とは何?李牧と慶舎が見抜いた弱点を予想


桓騎の記録はここで途絶えています。
もし敗走したので、あればその後はどうなっているのでしょうか?

『戦国史』では桓騎は燕に行ったことになっています。
秦国は敗北した将軍には斬首・財産没収、そして家族にまで危害が及んでいたので、それを恐れた桓騎は燕に逃亡。

名を樊於期(はんおき)に改めたと。
キングダムではもう樊於期登場してしまってますけどね。




樊於期は荊軻が秦王政を暗殺に自らの首を差し出したことで有名ですね。

ただキングダムではこの展開はなさそうです。


さいごに

キングダムで六大将軍に近い位置にいる桓騎!

史実での活躍は

鄴攻め
平陽を平定

の二つが代表的なものです。


その後李牧に敗れますが、キングダムでも桓騎の弱点という伏線を張っているので、李牧VS桓騎は濃密に描かれそうですね。

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