キングダムで六大将軍の候補にも数えられる活躍をみせている蒙恬(もうてん)!
その蒙恬(もうてん)は史実では実在するのでしょうか?
どのような活躍をしてきたのか?
どのような最後を遂げたのか?
など
今回は蒙恬(もうてん)の史実についてみていきましょう。
蒙恬(もうてん)は史実で存在する?
王翦本陣に蒙恬(もうてん)が到着!!李牧を救いに行った馬呈(ばてい)を追っていたから李牧本陣に向かったかと思ったから驚いた!まだ蒙恬は元気だし、馬南慈(ばなんじ)を討つのは蒙恬になるのかな?#キングダム pic.twitter.com/6HxaWzhznB
— comic-search (@search_comic) 2019年10月4日
蒙恬は現在趙の鄴(ぎょう)に侵攻しています。
朱海平原秦左翼では麻鉱(まこう)が李牧(りぼく)によって、討たれた後は大将・将軍として、左翼を指揮しています。
⇒麻鉱将軍の李牧に討たれて死亡するまでまとめ
蒙恬は史実でも存在します!
キングダムでは楽華隊(がっかたい)の隊長として、いくつもの戦場を駆け巡っている蒙恬。
武功を上げて行って、鄴攻め後にはついに将軍にまで上り詰めました!
意外にも蒙恬が史実で登場するのは紀元前225年以降。
鄴攻めが紀元前239年のため、鄴攻めの14年後に将軍として登場します。
史実上ではすでに韓・趙・魏を滅ぼしている頃ですね。
現在のキングダムでの蒙恬の活躍は完全にオリジナルということになります。
その蒙恬は紀元前225年より前は何をしていたかというと・・・
文官として訴訟や裁判などに携わっていました。
それまでは戦場とは無縁だったようですね。
蒙恬と李信で楚を攻める
紀元前224年に蒙恬は李信の副将として20万の兵を率いて、楚へ侵攻します。
蒙恬と李信(りしん)は二手に分かれて
李信は平輿(へいよ)
蒙恬は寝丘(しんきゅう)
を攻め落として、勝利。
その後李信は蒙恬と合流するために城父(じょうほ)に向かう。
楚の将軍項燕(こうえん)は三日三晩、機をうかがい続けて、夜襲をかける!
完全に意表をつかれた李信は7人の将を失い惨敗した。
その後王翦(おうせん)が60万の大軍を率いて、楚に侵攻。
楚を攻め滅ぼした。
斉の滅亡
蒙恬は名家の生まれというのもあり、紀元前221年に将軍の位に昇進。
楚軍侵攻の失敗は不問にされたようですね。
その後楚・燕と平定していく秦は最後の一国となった斉を進軍します。
蒙恬は斉の討伐に参加。
李信・王賁(おうほん)と共に攻め込んだ。
斉は他国が滅亡していく中で、他国への助力を一切しなかったため、一時的に平和となるがそれも長くは続かなかった。
斉の王である建は秦の侵攻に対して、降伏。
斉の平定をもって、天下統一を果たした。
匈奴征伐で蒙家繁栄
天下統一後に始皇帝は今だ抵抗する匈奴(きょうど)の侵攻に乗り出した。
蒙恬は紀元前215年始皇帝より匈奴征伐を命じられる。
蒙恬は30万の大軍で匈奴を攻めて、匈奴はオルドス地方から撤退。
秦は蒙恬の活躍で次々と領土を広げ、匈奴は北へ追いやられていった。
また蒙恬は匈奴の侵攻のために作られた長城の建設も担った。
これらの功績から蒙恬は始皇帝から気に入られ、蒙恬の弟の蒙毅(もうき)も重用されます。
二人は外政・内政で大活躍し、始皇帝から絶大な信頼を得た蒙家は繁栄していきます。
この頃朝廷内では始皇帝の長子の扶蘇(ふそ)が始皇帝の政策に反発。
扶蘇を匈奴にいた蒙恬の元に追いやります。
始皇帝の死
始皇帝は五回目の地方巡幸の途中で、自身が長くないことを悟り、扶蘇に勅書(遺言)を書きます。
その内容は
長子の扶蘇を後継者
蒙恬に扶蘇を将軍として支える
というものでした。
始皇帝はこの勅書が扶蘇の元へ届けられる前に、すでに病魔にむしばまれていたため、命を落としてしまいます。
しかし・・・
この勅書が扶蘇に届くことはありませんでした。
この頃始皇帝の信頼を得て、暗躍していた趙高(ちょうこう)が内容を書きかえて、扶蘇に送りました。
その内容は・・・
扶蘇と蒙恬の二人に自決を求めるものでした
蒙恬は勅書の内容を不審に思い抵抗したため、牢に。
扶蘇は勅書通りに自決。
蒙恬の最後とは?
始皇帝亡き後に新たに即位したのは始皇帝の末子である胡亥(こがい)。
勅書の内容に不信感を覚え、自決を拒んでいた蒙恬ですが、ついにその胡亥から直接自決の命令が下ります。
蒙恬は自決の前の最後に
いったい天に対するどんな罪があって、私は過ちもないのに死ぬのか・・・
いや、私は死んで当然の身の上だ。
臨洮(りんとう)から遼東(りょうとう)まで、万余里にわたって長城を築いたが、そのときに地脈を断ちきらなかったということはまずありえない。
これこそ、蒙恬の罪である
と半ば自らを納得させるように自決したという。
これにより蒙家は一網打尽にされて、蒙家は滅亡した。
さいごに
史実での蒙恬は不遇の死を遂げてしまいましたね・・・
その家柄から将軍にもなった蒙恬ですが、その功績は多く、やはり優秀な人物であったことがわかります。
キングダムでは武将として、活躍する場面が多いので、史実とは少し異なっていますね。
蒙恬の死までキングダムが連載するかどうかは微妙なところですが・・・
余裕で10年以上かかりそうです笑