【キングダム】楊端和(ようたんわ)は史実で実在する?

キングダムで圧倒的な美貌とカリスマ性をみせて、山の民の一族を率いる楊端和(ようたんわ)!
その楊端和(ようたんわ)は史実で実在したのでしょうか?
また女性だったのでしょうか?

今回は山の民の王である楊端和(ようたんわ)についてみていきましょう!

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楊端和(ようたんわ)は史実で実在した?

楊端和は史実で実在しています!


ただキングダムのストーリーとは異なる部分は多くあるようですね。

楊端和は山の民の一族をまとめた王とキングダムではなっていますが

史実では山の民でも何でもなく、秦国の武将であったと記されています。


そしてキングダムをみているとやはり気になるのは性別!
楊端和は本当に女性だったのでしょうか?

楊端和は女性ではなく男性です。

現在の女性の姿の楊端和はキングダムのオリジナルというわけですね。


キングダムの作者の原先生も当初は楊端和は男性のおじいさん設定で描いていく予定だったようです。
そのおじいさん楊端和の孫娘が現在の姿の楊端和だったとか。

ただその設定自体が必要ないのでは?
と考え、孫娘の姿の楊端和をそのまま楊端和にしたようですね。


キングダムの秦の武将で女性キャラといえば、もう一人羌瘣がいます。
原先生はこの羌瘣と違った女性キャラを登場させてたいと思っていたそうで、それらのことによって、生まれたのが現在の楊端和です。


おじいさん楊端和だったら、楊端和のキングダムでの印象全く違ったものになっていたでしょうね。

次からは楊端和の史実での活躍を紹介します。

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⇒山の民の族長のメンバーの名前一覧


楊端和が衍氏を落とす

楊端和の名前が初めて登場したのが紀元前238年。
『秦始皇本紀』には、この年に魏の衍氏(えんし)を落城させています。

キングダムでもこの場面はありましたよね。
魏の要所の城で不落の城と言われている衍氏城を楊端和率いる山の民が五日で落としています。

鄴攻めで王翦は衍氏城を落としたことを考えて、列尾を山の民に落とさせたのかもしれませんね。


楊端和が趙の鄴に出陣

キングダムで鄴攻めは三軍の一角として出陣している楊端和ですが、史実でも鄴攻めの戦いに参加しています。
史実で秦軍から出陣したのは王翦・桓騎・楊端和。


鄴攻めでは九つの城を落城させてから、鄴を落とします。
その後王翦が一人で閼与を攻め落とす。

そして王翦は秦軍を精鋭部隊1/5だけ残して、最後に難攻不落の鄴を落城させました。


キングダムでは橑陽軍(趙軍と犬戎軍)と激突!
最後は犬戎族のロゾを壁が討ち取り、橑陽城を落城させました。

⇒秦の鄴攻めから趙を守る将軍や武将を紹介

⇒鄴攻めの史実は?鄴城は陥落するのか結末を紹介


趙の王都邯鄲を包囲

秦は紀元前229年趙へ大規模な侵攻をします。
この時の将は王翦・楊端和・羌瘣。
迎え撃つ趙軍は李牧と司馬尚!


李牧と司馬尚は王翦の策で将を更迭されて、秦軍は王都邯鄲を包囲し、翌年趙は滅亡しました。


キングダムではまだ進んでいない場面ですね。


さいごに

楊端和が史実で活躍したのは

魏の衍氏城を落城
鄴攻め
王都邯鄲への侵攻

史実ではこの三つしか記録がありません。


楊端和が記録として残っている期間は9年間のみ。
かなりオリジナル要素の強いキャラになっているようですね。

ちなみに楊端和は最後どうなったのか?

それも書には残っていないようです。

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