キングダムで六大将軍の一人だった白起将軍!
白起将軍といえば、趙との長平の戦いで趙兵40万を生き埋めにしたことで、有名ですよね。
長平の戦いは幼少期に嬴政が迫害を受けるきっかけにもなりました。
ではこれまでに白起将軍は史実でどのような活躍をしていたのでしょうか?
目次
白起将軍とは?
後半には秦の白起(はくき)、王?(おうこつ)が出てくるのですが、彼らはキングダムで秦の昭王の六大将軍として王騎と並んで取り上げられている人物と同一人物で良いのでよね?
(『キングダム』(27)より、長平で捕虜を生き埋めにする白起) pic.twitter.com/FM3Ghb67jV
— こよみゆうか (@koyomi_yuuka) 2020年4月12日
春秋戦国時代に昭襄王に仕えた武将。
秦の国力が増大する中で、戦で最も武功を上げていたのが白起!
咸陽付近にある郿(び)出身の白起はその軍略の才を昭襄王に見いだされる。
そして魏冉(ぎぜん)に登用されて、将軍となる。
将軍になった後は当時の武将の中では並外れた武功を重ねている。
白起が恐ろしいのは特に斬首・生き埋めなどの残虐な手口で命を奪ったきたことが多いこと!
伊闕の戦い 24万
華陽の戦い 13万
陘城の戦い 5万
長平の戦い 40万
など
斬首・生き埋めで命を奪い勝利している。
この時代に存在する武将の中で最強と言えるかもしれません。
白起は当時無敵を誇っていましたから。
白起の戦い方を『史記』では
「敵の力を知り、事変に応じる能力があり、また奇計を巡らせることが巧みで、その威勢は天下を震撼させた」
と記されている。
白起はキングダムでも同じような戦い方をしているようですね。
廉頗曰く白起は
最もやりづらかった相手
と言っています。
そして戦いの特徴を
危険を冒さない
罠にかからない
相手の心理を読むことに長けている
深追いしたら反撃をくらう
と語っています。
現在キングダムで登場する武将の中では王翦が白起と戦い方が似ているようですね。
戦い方に共通するものが多いようです。
しかし史実では猛威を振るっていた白起ですが、宰相范雎の登場により、次第に立ち危ぶまれていきます。
白起将軍の史実での活躍
伊闕(いけつ)の戦いで24万人斬首
紀元前293年白起を総大将に韓に侵攻を開始。
迎え撃つのが韓と魏の連合軍。
韓と魏の連合軍は機能せず、白起の策もあって、白起の大勝利で終わります。
勝利した白起は
24万人の兵を斬首
魏将の公孫喜を捕縛
五城落城
と大戦果を上げます。
白起が史実で戦いに登場したのはこの年から。
秦の宰相魏冄が白起を総大将に抜擢しました。
魏に侵攻
伊闕の戦いで勝利した白起は魏へ侵攻。
紀元前292年に魏に侵攻して、大小61城を落城させる。
楚へ侵攻して、首都郢(えい)を落とす
紀元前278年白起は楚へ侵攻。
楚の第二の都市である鄢(えん)を水攻めで攻略。
その後南に向かい、楚の首都郢に攻める(鄢郢の戦い)。
白起は圧倒的な兵力差がありながらも郢を落とす。
郢が陥落した楚は陳に遷都。
この郢を落とした白起の活躍により、楚は国力が五分の一になったと言われています。
これらの武功により、白起は武安君となる。
華陽の戦い
紀元前273年には魏冉の指揮下で魏を攻める。
韓・魏・趙の将軍などを捕縛する。
そして13万人を斬首した。
その後趙将の賈偃(かえん)とも戦い、白起はさらに勝利。
趙軍2万を黄河に沈めた。
陘城の戦い
紀元前264年に白起は韓の陘城(けいじょう)に攻め込む。
この戦いでは五城を落城陥落させて、5万の兵を斬首しています。
長平の戦い
紀元前260年秦と趙の韓を発端に勃発した戦い。
韓は秦の侵攻で韓の桓恵王は上党郡を秦に割譲して、和睦しようとする。
しかし秦の支配を恐れた上党郡の郡守馮亭と民衆がそれを拒否。
秦の支配下にならないように上党郡を趙へ献上しようとする動きをみせる。
この動きに激怒した秦は紀元前262年王齕(おうこつ)を総大将に上党郡に攻め入り、占領。
そのまま趙にも攻め入った。
趙軍の総大将は廉頗(れんぱ)。
廉頗のもくろみ通りに進み、戦いは長期化。
しかし秦の宰相范雎の策で総大将が廉頗から趙括に変わる。
秦も総大将を王齕から白起に変更。
白起は趙軍を見事に打ち破り、趙軍は後退して、長平城に立てこもる。
そして兵糧攻めに合い、最後は趙括は討ち死にし、兵は降伏した。
趙兵40万人を斬首
長平の戦い後、趙軍に勝利した白起はそのまま趙の都に攻め込むことを狙っていた。
しかしそのまま侵攻するには
降伏した趙兵40万の兵糧が不足
秦への反乱の可能性がある
ということで、趙兵40万人を生き埋めにした。
この戦いで趙の戦死者は45万人に達し、趙の国力は著しく低下した。
宰相范雎(はんしょ)が白起に対して、警戒を強める
白起の戦での功績は凄まじく、このままで自分を脅かす存在になるのでは?
と考えた范雎は邯鄲への侵攻をやめさせた。
そして趙とは和睦を結んだ。
趙軍へ敗北後に大将の要請を断る
秦は一度は白起に邯鄲を攻め込むことをやめさせた。
しかし再度紀元前259年に趙へ侵攻。
総大将は王陵(後に王齕)。
邯鄲を包囲するも趙の援軍で現れた魏の信陵君・楚の春申君の前に敗北。
そこで白起に白羽の矢が立つが、范雎に強い不信感持っていた白起は病を理由に出陣を拒否した。
白起の最後
昭襄王と范雎は白起に出陣を要請。
しかし白起からは
今から出陣して勝利するのは難しい
趙に敗北した王齕を批判
と昭襄王を激怒させる。
そして
咸陽からの退去
爵位の剥奪
を命じられて、紀元前257年最後は自害させられた。
白起は最後に
「私は天に対して、一体どのような罪を犯したのだろう」
「死ぬのは当然だ。あの長平の戦で捕虜を40万も騙して殺した、それだけで死に値する」
と自問自答して、命を絶ったという。
さいごに
基本的にはキングダムに登場する武将は史実を超える活躍をみせている武将が多いです。
ただこの白起だけは史実の方がすごい!
キングダムでは白起の活躍は過去の長平の戦いくらいでしか出ていません。
もう亡くなっているので、しょうがないといえば、しょうがないですけどね。