【キングダム】蒙武(もうぶ)の史実と最後を紹介

春秋戦国時代に蒙驁(もうごう)・蒙武(もうぶ)・蒙恬(もうてん)、蒙毅(もうき)と三世代で始皇帝に仕えた蒙家。
その中でも蒙武は(もうぶ)は中華最強を目指す武将!
というイメージがあります。
史実では蒙武(もうぶ)は実在したのでしょうか?
また蒙武(もうぶ)はどのような武将だったのでしょうか?

今回はその蒙武(もうぶ)についてみていきましょう!

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蒙武は史実で実在した将軍?

父親は蒙驁
息子は蒙恬・蒙毅
と一族で政を支えた蒙家ですが、当然史実で蒙家は実在します。


では蒙武自身は史実で実在したのかというと・・・


蒙武は史実で実在した将軍です!


ただ蒙武は史実では蒙家の中で一番影が薄い存在です。
蒙武が史実で初めて登場したのが、紀元前225年の楚への侵攻。

ということは現在までのキングダムでの蒙武の活躍はすべてオリジナルということになります。


キングダムでの蒙武は今や秦軍の大将軍で第一将。
楚軍の大将軍汗明を討ち取るなどの活躍をみせています!

が・・・

史実だと蒙家で一番の名将と言えば蒙驁でしょう!
キングダムだと蒙驁は蒙武とは逆にさえない感じですが笑


蒙驁の史実での活躍は

韓の成皋(せいこう)・滎陽(けいよう)
魏の高都波(こうとは)
趙の三十七城
韓の十三の城
魏の二十の城

これだけの城を落としています!
蒙武は史実の記録だけ見ると蒙驁にだいぶ劣ってしまいますね。


そしてまたキングダムで蒙武は呂不韋四柱の一人
ただ史実では蒙武と呂不韋の関係は不明です。


他の呂不韋四柱の

昌平君(しょうへいくん)
李斯(りし)
蔡沢(さいたく)

との関係もみえませんね。

蒙武は史実では際立った活躍が楚軍との戦いでしかありませんからね。
自身の武力で力技を好む武将というイメージですが、史実ではだいぶ異なるようです。


蒙武の史実での活躍は?

楚に王翦の副将として出陣

秦は紀元前225年に李信と蒙恬が20万の大軍で楚に侵攻するも大敗。
政はその後王翦を総大将に60万の兵で楚に再度侵攻します。

この時の副将が蒙武!

王翦の60万の大軍に対して、楚軍も総大将項燕が率いて迎え撃ちましたが、王翦の策により、敗走します。


王翦が大将
蒙武が副将
これは・・・キングダムではあんまり考えれない布陣ですね!

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⇒王翦の史実での活躍と最後を紹介


楚の滅亡に貢献

紀元前223年に大将王翦と副将蒙武で楚に侵攻。

楚の都の寿春(じゅしゅん)を攻める。
寿春を落とし、楚王の負芻(ふすう)を捕える。
楚は滅亡した。


キングダムは基本大枠は史実通りに進んでいます。
蒙武は記録が極端に少ないために、キングダム的にはどの戦いにも登場させやすい武将。
いつどこで登場するのか楽しみではありますね。

ただこの楚との戦いが蒙武の一番の見せどころとなりそうです。

⇒楚の大将軍と武将一覧!項燕や媧燐を紹介

昌平君と項燕を江南の地で討つ

楚は事実上滅亡しましたが、項燕は逃亡。
そして江南の地で昌平君を新たな楚王に擁立して、抵抗を続けます。

この楚に相対したのが、王翦と蒙武。

最後は

昌平君を討ち取り
項燕は自害

とすぐに鎮圧します。

⇒項燕の史実での活躍!登場はいつ?


昌平君が秦から楚にいった経緯は史実上でも不明です。

ただキングダムでは昌平君と蒙武は幼馴染。
最後は蒙武が昌平君を討ち取る!
という展開になってほしいなと思いますね。

ただ昌平君と蒙武の戦いは、かなり盛り上がること間違いなしですね。

⇒昌平君の史実と最後の裏切りを紹介


蒙武の最後は?

蒙武の史実では最後どうなったのかというと・・・

書に記録は残されてないようです!

蒙武は史実では記録があまり残っていない武将。
キングダムでは鮮烈な印象がありますが、父親の蒙驁・息子の蒙恬の方が歴史には名を残したと言えるでしょう。

⇒蒙恬は史実で実在する?悲劇の最後も紹介


蒙武は紀元前223年まで史実で名前をみかけます。
キングダムでも少なくとも紀元前223年までは、他国の武将に討たれる。
ということはないと思われます。


さいごに

キングダムの蒙武は史実では記録が少ない武将です。
少ない中でも記録があって、貢献が高いのが

楚の滅亡

この功績はすごいですね。


ただ史実での蒙武って、いつも王翦の副将なんですよね。
キングダムでは全く考えられませんね。

王翦と相性悪そうな気が・・・


今のところ蒙武の方が各は上ですけどね。
一緒に戦っている姿が想像できませんね。

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