キングダムの合従軍との戦いで大一番!
総大将汗明率いる楚軍第三軍六万VS蒙武軍四万の戦い!
見せ場はやはり蒙武と汗明の一騎打ち!!
戦いは激しいキングダム史上に残る名勝負となりました。
今回はその蒙武軍と楚軍汗明軍の函谷関の戦いにスポットを当てたいと思います。
目次
蒙武軍と楚軍総大将汗明の函谷関の戦い
函谷関の戦いで楚軍と対峙した蒙武・騰連合軍九万と楚軍十五万。
蒙武軍と相対するのは総大将汗明率いる楚軍第三軍。
蒙武軍 四万
汗明軍 六万
の最重要となる戦いが始まる。
蒙武軍は十五日目まで動かず
函谷関の戦い初日。
騰が臨武君を討ち取るが、蒙武軍は動かない。
そして媧燐の策もあって、戦いは膠着状態になる。
再び動き出したのは十五日目。
ついに蒙武軍が動きを見せた!
蒙武軍でまず出陣したのは三千人将の壁!!
しかし蒙武から伝えられたのは「全力で戦え」のみ。
蒙武の号令に従い、突撃する壁!
奮戦する壁だが、兵力差は明らか。
汗明は左軍の壁の元に五千の兵を送って終わらせようとする。
蒙武軍の斜陣がけ
汗明軍の動きを見た蒙武は左から順次突撃させ、斜陣がけを仕掛けた!
その数二万!!
策を好まない蒙武の変貌に驚く両軍。
戦術勝負に出てきた蒙武に面食らうが、汗明は冷静に六万の楚軍に二万をぶつけてきただけ。
斜陣がけの主攻は端にあるため、そこに増援を送った。
続けて蒙武軍は兵一万五千で斜陣がけの第二波を放つ。
第二波の斜陣がけは左右の端に兵を偏重させていた。
汗明軍の貝満と剛摩諸は左右にそれぞれ一万の増援と共に向かった。
勢いは完全に止められ、蒙武の策は失敗した・・・
かに思われたが!
これは事前に蒙武に助言していた昌平君の策通りだった。
昌平君の策とは・・・
楚軍は蒙武の斜陣がけが両翼の崩しにあると読む。
両翼に軍の力を結集させた楚軍は中央が薄くなり、汗明への道が開ける。
蒙武軍五千が中央から突撃して、汗明を討つというもの。
蒙武から突撃命令が出て、蒙武軍五千が中央より突破を狙う。
汗明の元にたどり着く蒙武
蒙武軍五千に対するは汗明軍一万。
あまりにも武力頼みの策に汗明は蒙武の実力を疑う。
そして汗明軍の巨暴大騎兵団五千を蒙武にぶつける!
全員蒙武並みの体格の巨暴大騎兵団とぶつかった蒙武だったが、次々と敵を蹴散らしていく!
巨暴大騎兵団を突破した蒙武軍二千は汗明に迫っていた。
そして蒙武はついに汗明の元までたどり着いた。
蒙武 VS 汗明
蒙武と汗明の一騎打ちが始まろうとしていた。
楚軍総大将で武の象徴である汗明が負ければ、戦局は一気に秦軍に傾く。
蒙武が負ければ、楚軍の勝利が決定的となり、函谷関陥落につながる。
大一番の戦いが始まった!
最初の激突では蒙武が打ち負けた。
初陣から汗明は一度も負けたことがなく、自身の武に絶対の自信を持っていた。
秦では過去に一度だけ楚に侵攻した武将がいた。
その武将は六大将軍王齕!
しかし王齕は汗明に敗れて、撤退していった。
防戦一方となっていた蒙武だったが、その後汗明を吹っ飛ばす。
二人は互角の激しい互角の戦いを繰り広げるが、蒙武は左手首の骨を砕かれる。
そして汗明の強烈な一撃を受けてしまい、勝負は決したと思われた。
そのとき蒙武の脳裏をよぎったのは昌平君の言葉
「この一戦で示せ 誰が中華最強の漢であるかを」
息を吹き返した蒙武の一撃が今度は汗明の右ひじを砕く。
そして
「中華最強はこの俺だ!!」
と言い放つ蒙武!
蒙武が汗明に勝利
蒙武と汗明のお互い死力を尽くした激しい戦いはクライマックスを迎えようとしていた。
そのとき媧燐の命を受けた弟の媧偃が蒙武の首を取ろうと割って入る。
媧燐が気になり後を追ってきた蒙恬は媧偃を阻止する。
しかし媧偃に吹き飛ばされた蒙恬は蒙武と汗明の前に出てしまい、汗明に斬り伏せられる!
その光景を見ていた蒙武は思うわぬ力が湧き出し、汗明に勝負を決める一撃を放ち頭を砕いた!
蒙武と汗明の一騎打ちは蒙武の勝利。
そして汗明を失った楚軍はすさまじい被害を被り、楚軍総大将汗明軍と蒙武軍の戦いも蒙武軍の勝利した!
蒙恬の生死は?
汗明に斬り伏せられ、重傷を負う蒙恬。
蒙武から蒙恬に言葉をかけてもらおうとする兵たち。
しかし蒙武は厳しい言葉を投げかけるが
「この蒙武の倅だ その程度で死にはせぬ」
と最後に言い残し、汗明軍に突撃していった!
それを聞いてか、聞かずか、蒙恬の手には力が戻っていた。
さいごに
秦と合従軍の中で、最も激しい戦いと言っても過言ではない蒙武軍と汗明軍の函谷関の戦い!
キングダムの中で蒙武と汗明の一騎打ちは名勝負の一つでしょう。
昌文君曰く今回の函谷関の戦いは蒙武は矛(攻め)の役割り。
その役割りを見事に果たした蒙武は中華最強に近い存在と言っていいかもしれません。
合従軍との戦い後に蒙武は大将軍となりました。
妥当ではありますね。